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Day274(神の使者:P.389、ACIM:T-31.VIII.05:06-07)

それでは誰が癒されるのかー患者か癒し手か?赦す者か赦される者か?答えは、両方、だって両者は一つですからね。だからいつも赦しの姿勢でいることを習慣にすればいいのよ。
ーしたがって聖性の選択以前に恐怖と怒りが自然に思えたように、奇跡は自然である。その選択により間違った区別が消え、幻想的な代替物が倒されて、真実を妨げるものは何もなくなるからである。(神の使者:P.389)

Who is being healed—the patient or the healer? The forgiver or the forgivee? The answer is both, for they are one. You can get into the habit of always having a forgiving attitude.
…And thus are miracles as natural as fear and agony appeared to be before the choice for holiness was made. For in that choice are false distinctions gone, illusory alternatives laid by, and nothing left to interfere with truth.(D.U.:P.306)

T-31.VIII.05:06-07の引用です。

こうして、奇跡は、聖性が選択される前には自然なものに見えていた恐れや苦悩と同じくらい、自然なものとなる。なぜなら、その選択において、偽りの区別がなくなり、架空の選択肢が放棄され、真理を妨害するものが何も残らなくなるからである。『奇跡講座(中央アート出版社)』

かくして、神聖性の選択がなされる前には怖れや苦悩が当然であるように見えたのと同じくらいに、奇跡が当然のものとなります。というのは、その選択において偽りの区別は消え去り、幻想にすぎない選択肢は脇にどけられ、真実の妨害をするものはすべてなくなるからです。(大内博訳)

かくして、神聖なるものを選択するまでは、恐れたりもだえ苦しんだりすることが当然のように思えていたのが、こんどは同様に奇跡が当たり前のことになる。というのもその選択をしたことで、仮に当たり前だったことがそうでなくなるし、代わりのものだと錯覚していたことを手放すようになり、真理を妨げるものが何もなくなるからである。(田中百合子訳)
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FamilyofGod

Author:FamilyofGod
ACIM学習者です。スピリチュアルな事は余りわからないまま、コースに入りました。
「神の使者」を読んだのをきっかけにACIMを学ぶようになりました。
サラリーマンで技術畑を軸にくらしてきたので、スピリチュアルなことに係わる事はありませんでした。なので、実生活では、スピリチュアルなことを話せる友人・知人がおりません。
こちらで色んなお友達ができることを期待してます。
また、ブログも初めてですので色んなことを御教授頂ければと思います。
よろしくお願いします。

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