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Day333(神の使者:P.466、ACIM:T-29.VIII.08:07-09:02)

だが、きみはエンパイアヘ上った。きみにとって意味があったから。あるビルはきみにとって大きな意味があるが、別の人にとっては別の場所のほうが大きな意味がある。偶像は人によって違うんだが、どれにも一つ共通点がある。どんなかたちをとるにしろ、偶像が人間に何を与えるか、ということだ。「コース」ではこう説明されている。
ーもっと、でなければならない。何がもっとなのかはどうでもいい。もっと美しく、もっと知的に、もっと豊かに、さらにはもっと多くの苦悩、もっと多くの痛みですらかまわない。何かをもっと、というのが偶像なのである。ーつが偶像の座から落ちれば、何らかをもっと見出したいという希望によって、ほかのものがとって代わる。だが「何か」がどんなかたちをとるかに欺かれてはいけない。偶像とはもっと得るための手段である。だからこそ、神の意志に反する。
神には大勢ではなく、たった一人の息子しかいない。誰がもっと多くを得ることができ、誰がより少なくしか得られないというのか?(神の使者:P.466)

One building meant more to you, but the other place means more to others. Not everyone’s idols are the same, but they all have one thing in common. What do idols seem to give people, no matter what form they may take? As the Course explains:
…It must be more. It does not really matter more of what; more beauty, more intelligence, more wealth, or even more affliction and more pain. But more of something is an idol for. And when one fails another takes its place, with hope of finding more of something else. Be not deceived by forms the “something” takes. An idol is a means for getting more. And it is this that is against God’s Will.
God has not many sons, but only one. Who can have more, and who be given less?(D.U.:P.373)

T-29.VIII.08:07-09:02の引用です。

より多くでなければならない。何をより多くであるかは問題ではない。より多くの美、より多くの知性、より多くの富、さらには、より多くの苦難や苦痛でさえもが、その対象である。とにかく、より多くの何かのために偶像は存在するそして、一つの偶像がしくじれば、もう一つがその代わりとなって、他の何かをより多く見つけるという希望を携えてくる。その「何か」が纏う形に騙されてはならない。偶像は、より多くを得るための手段である。神の意志に反しているのは、まさにこのことである。
神には多くの子らではなくただひとりの子がいるだけである。誰がより多くをもち、誰がより少なく与えられるというのだろう。『奇跡講座(中央アート出版社)』

それはより多くなければなりません。何がより多くであるかは問題ではありません。より多くの美、より多くの知性、より多くの富、より多くの苦しみやより多くの苦痛でさえあるかもしれません。とにかく、より多くの何かのために偶像はあります。そして、一つの偶像が失敗すると、別な偶像がそれに取って代わり、何か別のものをより多く見つけることができるという希望をもってきます。その"何か"がとる形に騙されてはなりません。偶像はより多くを得るための手段です。「神の意志」に反しているのはまさにこのことに他なりません。
「神」には多くの「子」はおらず、ただ「一人の子」がいるだけです。これより多くをもつことができる者がいるでしょうか。これよりも少数を与えられる者がいるでしょうか。(大内博訳)

他の人以上でなければならないとする。実際のところ、なにが他の人以上なのかは問題にしない、もっと美しいとか、もっと賢いとか、もっと金持ちだとか、あるいはもっと悩みの種があるとか、もっと苦痛を味わうというのでもかまわないわけだ。偶像は、ただただ何かをより多く自分のものにするためのものだということ。だから一つが失敗すると、他のがその代わりになり、何か他のものをもっと見つけようと期待する。その「何か」が取るかたちにだまされないように。偶像は何かをより多く手に入れるための手段。だからこれが神の御意志に逆らっているのである。
神にはたくさん子供がいるわけではなく、ただ一人いるにすぎない。ではだれかがより多く持ったり、より少なく与えられたりすることがあるだろうか。(田中百合子訳)
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プロフィール

FamilyofGod

Author:FamilyofGod
ACIM学習者です。スピリチュアルな事は余りわからないまま、コースに入りました。
「神の使者」を読んだのをきっかけにACIMを学ぶようになりました。
サラリーマンで技術畑を軸にくらしてきたので、スピリチュアルなことに係わる事はありませんでした。なので、実生活では、スピリチュアルなことを話せる友人・知人がおりません。
こちらで色んなお友達ができることを期待してます。
また、ブログも初めてですので色んなことを御教授頂ければと思います。
よろしくお願いします。

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