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Day364(神の使者:P.505、ACIM:T-31.VI.02)

きみは何から学び続ける運命なのか、わかっているね。すでに実践を始めたあとも、「コース」の「テキスト」と「ワークブック」を読むことに代われるものはないよ。心を使って身体と真の霊のどちらかを選び、それによって世界を赦しなさい。きみの赦しを通じて、きみのエゴは解体される。「コース」にこんな感動的な文章があったね。
ー救済とは解体である。あなたが身体を見ることを選ぶなら分離と無関係な事柄と無意味な出来事とでできあがっている世界を見るだろう。この世界は現れては死のなかで消える。この世界は苦しみと喪失を運命づけられている。誰も一瞬前と同じではなく、ー瞬後もまた同じではない。これほど変化する場所を誰が信頼できるだろう。誰もがはかない塵に過ぎないとしたら、どんな価値があるだろう。救済はこうしたすべてを解体する。罪悪感をもち続けることをやめた代わりに見ることから解放された者の視界に、救済による安定性が立ち上がる。その人たちは罪悪感を手放すことを選んだから。(神の使者:P.505)

You know what you are destined to continue to learn from. There is no substitute for reading the Text of the Course and the Workbook, even after you’ve already done the lessons. Use your mind to choose between the body and true spirit, and by doing so forgive the world. It is through your forgiveness that your ego will be undone. As the Course so movingly puts it:
Salvation is undoing. If you choose to see the body, you behold a world of separation, unrelated things, and happenings that make no sense at all. This one appears and disappears in death; that one is doomed to suffering and loss. And no one is exactly as he was an instant previous, nor will he be the same as he is now an instant hence. Who could have trust where so much change is seen, for who is worthy if he be but dust? Salvation is undoing of all this. For constancy arises in the sight of those whose eyes salvation has released from looking at the cost of keeping guilt, because they chose to let it go instead.(D.U.:P.406-407)

T-31.VI.02の引用です。

救済とは取り消しである。肉体を見ることを選択するなら、あなたは分離の世界や、相互に無関係なものごとや、まったく意味をなさない出来事の数々を見ることになる。一つの肉体が姿を現しては死んで消え去るかと思えば、別の肉体には苦しみと損失の運命が定められている。そして、誰一人として、一瞬前の自分と厳密に同じではなく、一瞬の後には、今の自分と同じではなくなる。これほどの変化が見られる場所にあって、誰が信頼を抱くことなどできるだろう。塵にすぎないもの、だというのなら、誰に価値があるというのだろう。救済とは、こうしたことのすべてを取り消すことである。なぜなら、救済がその瞳を、罪悪感が保持されるための代価を見ることから解放したとき、その者たちの視覚には、恒常性が生じるからである。それは彼らが、罪悪感を保持せずに手放すという選択をしたからである。『奇跡講座(中央アート出版社)』

救いとは解除することです。肉体を見る選択をすれば、あなたは分離の世界、相互に関係のない事柄、まったく意味をなさない出来事を見ることになります。この肉体は姿を現しては、死ぬときに姿を消します。したがって、人は苦しみと喪失の運命にあります。そして、誰も一瞬前の自分と同じではなく、一瞬後には現在の自分と同じではなくなります。これほどの変化が見られる場所にあっては、信頼することができる人はいません。というのは、ただの塵でしかない人に価値があるはずはないからです。救いは、こうしたことのすべてを解除することです。というのは、救いによって罪悪感を保持することの代価を見ることから目を解放された人々の視覚には、恒常性が生じるからです。なぜなら、彼らは罪悪感を手放す選択をしたからです。(大内博訳)

救いとはもとどおりにすることである。もしあなたがからだを見ることを選んだなら、分離した状態や、関連のない物事や、何の意味があるのか少しも分らないような出来事だらけの世界を見ることになる。あるからだは現われたかとおもえば、死んで消えてしまうし、苦しんだり失ったりする運命にあるからだもある。そして誰ひとり一瞬まえと全く同じではないし、一瞬あとには今と同じだとはいえない。目まぐるしく移り変わるようなところをだれが信頼できるだろう、ちりにすぎない存在だとすれば、価値のある者などいないだろうから。救いとはこうしたことを全て取り消して、もとどおりにすることである。救いによって、罪責感を抱き続けることの代償を見ることから解放された者たちの目には、恒久的なものが浮かんでくる、それはその人たちがそんなものを抱き続けるかわりに手放すことを選択したからである。(田中百合子訳)
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FamilyofGod

Author:FamilyofGod
ACIM学習者です。スピリチュアルな事は余りわからないまま、コースに入りました。
「神の使者」を読んだのをきっかけにACIMを学ぶようになりました。
サラリーマンで技術畑を軸にくらしてきたので、スピリチュアルなことに係わる事はありませんでした。なので、実生活では、スピリチュアルなことを話せる友人・知人がおりません。
こちらで色んなお友達ができることを期待してます。
また、ブログも初めてですので色んなことを御教授頂ければと思います。
よろしくお願いします。

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